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「手放すこと」の難しさ

原田裕子写真

みなさん、こんにちは!原田裕子です✨

昨日から、実家に帰省しています。 93歳の父が一人暮らしをしているのですが、毎回驚かされるのは、その元気さです! 洗濯も掃除も買い物も、全部一人でこなしているんです。本当にありがたいことです。

でも、恒例行事もあります。それは冷蔵庫の掃除(笑)。毎度のことながら、得体の知れないものが入っています。 水回りの掃除も含めて、帰省のたびにリセット作業から始まります。

キッチンのラップやアルミ箔置き場に、同じ形状の箱に入ったプリンターのインクがあったりとか😅
冷凍庫に、乾物の大豆とか
冷蔵庫にポテトチップスとか

数年前までは、私もいちいち腹を立てながら掃除してましたが、もう、驚きません。腹も立ちません。そういうもんです。

ただ、今回も頭を悩ませたのが、父の車の運転問題。

車をぶつけたりこすったりしているのに、大好きな運転をやめようとしないのですよ。代替案として電動3輪車やタクシー利用を提案しても、「安全運転しているから大丈夫だぁ」の一点張り。

話していると、運転に関しては毎度のことながら腹が立ちます💢 人を怪我させてからでは遅いのに、なぜ分からないのかと。

仕事柄、自分を客観視するのは得意なはずだと思い返し、この怒りは、何に執着していて沸き起こってくるのかを観察してみました。

ヨガ哲学では、怒りなどの心の乱れは「結果への執着、つまり自分の思う通りにならないから」だと教えています。

私の場合、「父親には、常識的で普通の人間でいてほしい」「わがままを言わない父でいてほしい」という期待や欲求があるんですね。それが満たされないことに、腹をたてていたんですね。 それだけ、父親には幸せであってほしいという気持ちが奥の方にあるのだと思います。

父にとって車を運転するというこは、単なる移動手段ではなく、アイデンティティの一部なのだと思います。それは自立している証拠、自由の象徴なのかもしれません。

ヨガや瞑想を通じて学んでいることの一つが「手放すこと」の大切さです。でも、それは諦めることではなく、執着を手放すこと。 父の安全への心配は当然ですが、私が父をコントロールしようとする気持ちは手放す必要があるのかもしれません。

お盆の時期、ご実家に帰省されている方も多かと思います。 家族との関係で、「なぜ分かってくれないの?」と感じること、あるかも知れませんね。親の価値観や行動に戸惑うこと、ありませんか?

親とはいっても、やはり別人格ですから、自分とは違うのですよね。自分の思った通りの理想の親でいてくれるはずは、ないです。 相手を変えようとする気持ちと、本当に大切にしたい気持ちを分けて考えてみると良いのかも知れません。

「高齢者免許返納しない案件」はまだ解決していませんが、私なりのアプローチを続けてみようと思います。感情的にならず、父の気持ちも理解しながら、安全な方法を一緒に探していく。それが今の私にできることかもしれません。とは言ったものの、やることは「免許返せー」と念仏のように唱えるだけのような気もしますが😄

みなさんは、このような家族の問題、どう思われますか?もしよろしければ、コメントで教えてくださいね♪

では、母のお墓参りに行ってきまーす👋

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました🙏
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