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あきらめは心の養生

目次

あきらめる

「あきらめる」と聞くと、失敗や敗北というイメージを持つ人が多いのではないでしょうか?この言葉には、「逃げる」という意味合いが含まれることがありますから、あまり良い印象ではないかもしれません。「なにごともねばり強く、あきらめないことが大切」「目標達成のためには絶対にあきらめない」というように、ひとつのことをあきらめずに努力し続けるという意味で使われることが一般的です。「あわてず、あせらず、あきらめず」を座右の銘として、心を乱さずにこつこつと努力を続けている人もいるでしょう。

あきらめは心の養生

「あきらめは心の養生」ということわざがあります。思い通りにいかないことや、失敗や不運なできごと、過ぎ去ったことをいつまでもくよくよと考えず思い切ってあきらめるのが精神衛生上は望ましい、という意味です。こちらの「あきらめる」は同じ言葉でも反対の意味でつかわれています。つまり、「あきらめ」が肝心だということです。過去の失敗や悪いできごとをいつまでも悔やんでいても 心が曇ってゆくだけで、心身の健康にとってあまりよくないということです。

「あきらめ」の違い

同じ「あきらめる」ですが、その事象が、自分が努力したら変化が期待できるのか、あるいは自分の努力ではどうにもならないことなのか、という違いがあります。努力したら上手くいくのにあきらめる場合は、逃げるという意味になります。例えば、試験勉強や筋トレ、禁煙などが当てはまるでしょう。しかし、自分の努力ではどうにもならない場合は、問題から逃げるということにはなりません。

潔い決断

私たちは、こどもの頃から「あきらめるな」と教わってきましたから、「あきらめる」と聞くと悪いイメージを持ってしまいがちですが、「あきらめる」というのは恥ずかしいことでも悪いことでもありません。自分の努力ではどうにもならない問題に直面している場合、つまり、自分ではコントロールできないことについて「あきらめる」ということは、潔く素晴らしいことだと、ことわざが教えてくれています。起きてしまったできごとを無かったことにしたいと思っても、その人の努力ではどうにもなりません。過去のことをいつまでも悔やんでいると、心がくたくたに疲れてしまうだけです。例えば、別れてしまった恋人のことが忘れられずに、いつまでも落ち込んでいると、日々の仕事や生活にまで悪い影響がでてしまいかねません。したがって、建設的で有意義な人生を望むのであれば、潔く「あきらめる」というのも大切な生き方なのだと思います。

今できること

努力するポイントや方向を間違えて、自分が努力してもどうにもならないことに執着するのではなく、自分が努力すれば変えられることが何なのかに気づくことが心身の健康にとっては良いということです。これまでの人生で、あきらめが肝心だと思った体験や、あきらめたのでかえって良かったという体験を振り返ってみることも、自己理解が深まり、心の安定が得られますのでお勧めです。

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