「手放すこと」と「整えること」
こんにちは、ヒトミです。
今日は、最近あらためて感じていること――
「手放すこと」と「整えること」について、少しだけ綴らせてください。
“ちゃんとしている感”で、安心を埋めていた頃
かつての私は、
予定がぎっしり詰まっていないと不安で――
「忙しい私=ちゃんとしている」
「予定がある私=価値がある」
…そんなふうに思い込んでいたのかもしれません。
時間が空くとソワソワして、
急ぎではない作業まで詰め込んでしまっていたあの頃。
でもある時、ふと気づきました。
「私は“やること”で安心をつくろうとしていたんだ」
でも、それって“本当の安心”ではなかったのだと思います。
「手放すこと」が、整えることだった
そんな私が、少しずつ学んできたのは、
「手放すこと」=「整えること」という感覚です。
🧘♀️ ヒトミの手放しの記録
女性なんだから家事はやらなきゃ!
→自分でやることを諦めて、お掃除ロボット・食器洗浄機・ドラム式洗濯機に投資。
通知がきたらすぐに返信しなきゃ!
→ スマホを“集中モード”に。心が静かに。
積み上がった本を頑張って読まなきゃ!
→ 「いまの私には響かない」と、潔く手放すことに。
空いたスペースに見えてくるもの
何かを手放したあと、気づいたことがあります。
「これ、そこまで大事じゃなかったかも」
そう思えると、心に余白が生まれて、
そこにようやく“本当に大切なもの”が見えてくるようになりました。
整えるって、完璧にすることじゃない
最近では、朝の手帳時間に
「今日の私は、どんな状態に整っていたい?」と問いかけています。
そして、その答えに合わせて
スケジュールを見直す
優先順位を変える
頑張りすぎない工夫をする
…そんな小さな調整を繰り返しています。
整えるって、
完璧にすることではなく、
「自分の軸を明確にする作業」なのだと思います。
🔖ヒトミのひとことメモ
整えるって、
何かを“足す”ことじゃなくて、
“余白をつくる”ことかもしれない。
心のなかにも、スペースが必要です🌿
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